kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

ツール・ド・能登 2019 統括

 今年のツル能登は、無事に完走する事ができました。
義父が、トヨタレジアスエースをレンタルしてくれたので帰宅するときは座っているだけで良かったこと。
私の家の車は5人乗りなので全員乗れません。
義父に感謝です。


 
 今年のツル能登は、ある意味「サバイバル・サイクリング」の名に恥じないイベントだったと思います。


 気温が高くてリタイヤする参加者が続出。
しかも、私の知っている・遭遇した限りで3台の救急車が来ていました。
例年は、今週末に開催されていて、気温がもっと低かったハズです。
いつも参加している人たちは、いつも同じ装備で参加しているので対応しきれなかったのでしょうか。
昨年の1日目のリタイアは4人ほどだったはず。
そう考えると、今年のリタイアされた参加者の数は多いと言わざるを得ません。


 結果論ですが、昨年よりも10kmほど距離が長くなっていました。
2年連続で長くなっています。
太郎君が出場を決めた2017年度は約120kmで3日目と同じ距離でした。

私のサイコンでの距離です。
公式では140km・overでした。
来年当たりは、ダメモトでチャンピオンコースに出場しようと考えている私たちにとっては良い試金石になりました。


 昨年とは違う時間軸でのサイクリングになっていた。
私と太郎くんが昼食会場に到着したのは、2年連続で13時過ぎ。
昨年は、ハーフコースのサイクリストたちが和気藹々とご飯を食べていたのですが、今年は会場を出るまで見かけませんでした。
太郎くんと時間のことで焦っていたので、会場では気にならなかったのですが、走りながら思い出してみたところで気がつきました。
 全体的にペースが遅かったのでしょうか。
初めはこれが仮説だったのですが、90km位を過ぎたときに私たちの後ろに回収車がいないことに気がついたので、半確信にかわりました。
太郎君が頑張っているペースがそれほど遅くないということ。
それに、サポートライダーの方々の情報はあまり新しくなく、足切時間に関しては公式発表を前提にしていました。
だから、途中で太郎くんを託したのですがね。
途中のチェックポイントなどでは情報を入れていたみたいです。
 昨年は足切時間の延長は無かったはずですが、今年は各チェックポイントで状況を見ながら延長していたようです。
さらに、門前CPから円山峠入り口までの間に5・6人ほど追い抜いたのですが、峠入り口付近で回収車の声が聞こえたのでその参加者たちはリタイアしたのでしょう。
だって、2人ほどは歩いているときに抜かしましたから(笑
その人たちはちゃんと漕いでいましたよ。
初見や初心者の人たちにとっては今年は本当に辛いイベントです。
私はそれに助けられていたのかもしれません。 


 登坂の練習はちゃんとしなくてはならない事。
約140kmを走破できるだけの体力と精神力があることは証明できました。
ただ、もっと余裕を持たせることとチャンピオンコースにエントリーするためには登坂技術を身に付けないといけないのと、登坂に慣れなくてはならない事が分かりました。
登坂の練習と言う前に、体重を減らせば良いのでは?とつっこまれそうですが、まさにそのとおりだと思います。
 円山峠からゴールまでが本当に下りで、殆んど漕がなくてよかったからゴールできました。
これが少しでも登りがあるとビッコを引いて歩いて登らなくてはなりません。
こうなると、時間に間に合わなくなってしまいます。
なので、体重を減らせば(ダイエットと言う言葉は嫌い)平地でも楽になるし、登坂スピードも上がるかと。


 健太君のACE20の限界。
やはり20インチでは限界があります。


ACE20の純正状態であったならば、車体各所の抵抗が大きすぎます。
20-451ホイールだと、クランク1回転で進む距離が短すぎます。
良い自転車なのですが、適正身長の子供がロングサイクリングイベントに参加するには向きません。


 太郎くんが学校から貰ってきた四測定の紙には、身長が131cmとなっています。
ACE20もほぼ限界までサドルを上げているので、そろそろ24インチを購入する時期になってきたと考えます。
本当は、無理をして650cにしようかと考えましたが、筋肉がそこまでついていないので関節に影響が出る可能性があります。


 最後に、円山峠でワッショイワッショイとお祭り騒ぎをしていたサポートの皆様、あれは非常にびっくりしました。
女性のサポートライダーの方とのんきに話していましたが、体力的に後ろを振り返る余裕がなく、何が起こっているのか確認できませんでしたが、笑わせていただきました。
そして・・・・・・後ろから「押そうか!」と声をかけていただき、押していただいたサポートライダーの方×2人、申し訳ないのですが名前も知らずお礼も言わずに去ってしまい申し訳ありません。
ノリで「お願いします!」と言ってしまいましたが、まさか、チャリダーの収録をされていたとは(笑
「マワセ・マワセ!漕げるやないか~!!」と言われても・・・・・漕がざるをえない状況下に追い込まれていたと自覚しています。
高校生の運動部バリの掛け声も・・・・・・恥ずかしかった(汗
でも、あの5分にも満たないだろう時間があったからこそ思い出がまた生まれました。
終わってからの心配は、BSで放送されるチャリダーであのシーンが流れない事を祈るばかり・・・・・。
 円山峠の最後の無理?がたたって大阪に帰る日まで左足への加重が10%くらい、足を曲げる事が殆んど出来ない状態でした。
学生時代の古傷が久しぶりに悪化しました。


 ツール・ド・能登でサポートライダーの方々、裏方の方々、色々とありがとうございました。
太郎君と私にとってかけがえのない1日になりました。
来年は、2人ともさらに成長して望みます。
本当にありがとうございました!!


 太郎くんが、積み込む前に撮っておいてくれと言ったアングルでの写真。

太郎君との話し合いで、ACE20のイベントでの使用はこれで最後になります。
次は、ACE24・・・・・は避けてアンカーの24インチにしましょうか・・・ね。
ACE20はよく頑張ってくれました。


ついでに私のR3も。
こちらも今年でお役ごめんにするつもりなので、記念に。


 太郎君との1年にわたる集大成がここに完結しました。
また、次の目標に向かって頑張ります。

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