kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

猫の寿命

 私の実家では猫を飼っていました。
母が猫を飼ったというよりも、鹿児島にいた祖母が飼っていたのを、祖母を大阪に連れてきた際に一緒に連れてきてそのまま飼っていました。
祖母はなんで猫を飼っていたのだろう?
遺伝性疾患と緑内障でほとんど目が見えておらず、祖父が亡くなった1年後にはすでに子猫との同居が始まっていました。


 200坪の敷地と70坪にわたる家屋の居間にポツンと座っていた祖母。
1か月に1回、母に頼まれて見に行った時の切ない風景。
500m先には私の従兄で母の兄の子がいたのにもかかわらず一切面倒は見ていないようでした。
伯父も叔母2人も誰も祖母を引き取らなかったり引き取れなかったり。
心配だったら傍に置いたらいいという助言をしたのを皮切りに、3か月後には祖母を大阪に連れてきました。
その際に一緒に来たのがこの猫。
初めて見たときは手のひらくらいの大きさだったのに、既に普通の猫と同じくらいの大きさになっていました。
ついでに?1週間ほど前に激しい縄張り争いをしたようで、左耳の後ろが切れていました。
名前を付けておらず、祖母のという意味を込めて「みぃ」と私が名付けました。
それまでは「猫」か「にゃんちゃん」でした。


 祖母が大阪に来るまで私はまだ結婚もしていなく、実家に母と住んでいました。
3LDKだったので祖母が来ても大丈夫と思っていたのですが、いざ同居を始めると体に異変が。
目からは涙が出てきて、呼吸が浅くなり、30分もたたないうちに息を吸い込むのが困難になってきました。
そう、動物性アレルギー持ちだったのです。
まさか自分がそんなものを持っていたとは思わずに・・・・・・。


 その日から彼女(現妻)とのワンルームでの同棲が始まりました。
そう、私は猫に住処を追われたのです!(笑
彼女とは付き合って6年くらい?2年後に引っ越してその数年後に結婚式しました。


 みぃは鹿児島にいる間は近所を走り回る猫でしたが、大阪に来てからは家の中だけの猫に大変身。
2年ほどは脱走を企てて、祖母のデイサービスのお迎えの時に外廊下に出たりしていましたが、自分が知っている自然とはかけ離れていたためか・・・・・・直ぐに家の中に引き返していたらしいです。


 祖母がディサービスから特養に入所し、母と生活していました。
母が病気などで入院するときは我が家で預かるようにしていました。
自分の家なのに・・・・・・・妻と子供たちはものすごく喜んで・・・・・・私とスズメが戦々恐々。

これは2年ほど前に我が家に来た時の日向ぼっこをしているときの「みぃ」です。
メスで虚勢をしたからなのかお腹の皮がダルンダルンになるとともに、デブでした。


 娘と息子が実家に行ったときは、いつも娘と息子にベッタリしていたようです。
勉強していると机に乗ってきて監視や邪魔をして楽しんでいたらしい。

この下にひいている毛布?ひざ掛けは姫様が保育園時代に愛用していたひざ掛けを気に入ったようだったので「みぃ」にお下がりしていました。


 4月上旬に母親から電話があって、「みぃ」のやせ方が変になってきたからもうそろそろ最後かもしれないと。
週末に見に行こうと用意をしていると「今日は来ない?みぃが太郎君が来ると思って玄関で待ってるんだけれど」と電話があり、慌てて実家に向かいました。

着いたらこんな感じでり便で待っていました。
画像ではわかりませんが、既に骨と皮だけ・・・・・・・。
さらには鳴きはしますが動こうとしないというか、動くだけの体力が残っていないよう。
太郎君と姫様の姿を見たら、必死になって鳴いていました。

自分でのブラッシングもできなくなっていたのか、体毛に乱れが見えます。

これらの写真は太郎君が自分のスマホで撮りました。
見事にピンボケ(笑


30分ほど太郎君と姫様と妻と触れ合ったら満足したのか、母の寝室に向かうのですが・・・・・5歩進むごとに横になり、自分の寝床に行くまでにかなりの時間がかかっていました。



 次の周の水曜日の午前中に、母から「みぃ」が天に召されたと報告がありました。
母が気が付いたのが午前2時。
トイレに行くために起きたときには既に・・・・・。
ちなみに、母と「みぃ」は同じベッドで寝ています(知ってダレトク?)。


 実家からはほど近い、大泉公園の裏のペットの火葬をしてもらえるところに電話して、火葬してもらいました。

立派な御棺に入れてもらい、簡易葬儀も執り行われました。
御骨は実家の祖父母の仏壇の方に置いてあります。
親父と兄の仏壇とは別に仏壇がある・・・・・宗派が違うからしかたがない?


 4月17日に他界、19日に火葬と葬儀を行いました。
年齢は・・・・・20歳越え?大往生でしょうか。



 太郎君のスマホ内に画像があったから

金沢城公園でやっていた百工展であった中に入って飛び回ることのできる「ひゃくまんさん」。
太郎君はもうそんな年齢ではなかったからか入りませんでした。


和菓子つくり体験(0.6k)にて太郎君が作った和菓子。
かれこれ毎年やっているために慣れたものらしいです。
なんか、後ろの小学低学年の男の子が握ったら潰れたらしくギャン泣きしていたとのこと。
誰が作っても同じ味ですが、見た目はその人の個性が出てしまう和菓子。
この時私は能登豚串と能登牛串でビールを飲んでいたと思われます。
GWに金沢に行ったときは、9時に行くことをお勧めします。
同時期に、能美の方で九谷焼祭りも開催されているのでお勧めです。
焼き物が出たから・・・・・最近は少なくなりましたが、陶芸ができるところがあります。
旅行で行くと絵付けはできませんが、自分の好きな陶器を作ることができます。
小さなことども行くと、その時の手形を押した皿を作ったりして楽しいですよ。

×

非ログインユーザーとして返信する