kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

夏休みが順次終了

姫様は22日に2学期が始まりました。
ということで、今日から弁当回が復活します。


この肉のボリューミーさ。
男子生徒だったら泣いて喜ぶ。
今回は、豚肩ロースのみそ焼きです。
味付けの味噌ダレに浸しておいて焼くのですが、初めから中火以上にするとすぐに味噌ダレが焦げてしまうので、フライパンに並べてから蓋をして、弱火で10分ずつ蒸し焼きにします。
一度取り出して2~3cm幅で切ってから、中火で焦げ目をつけるように焼き上げました。


妻がうるさいので?サラダもつけるようにしました。
豚肩ロースを1.5枚ほど使ったお弁当です。
普段は料理をしないので、これだけしか作りませんが1.5時間ほどかかりました。
手際が悪い・・・・・・・・。




 そういえば、先週末の19日にららぽーと堺に行ってきました。



ええ、妻が行きたいとゴネタからです。
私自身は・・・・・興味がある店がなかった。
ただ、小籠包を出しているお店、京鼎樓(ジンディンロウ)が気になっていました。


ツアーで台北に行った時には鼎泰豐(ティンダイフォン)のお昼御飯がついていて、そこから小籠包・・・・・・点心好きになり、地球の歩き方を片手に小さな店の点心巡りを・・・・・したら妻がキレていたような気がするが。


食べに行きましたよ。
結構お高いイメージですが、お昼ご飯時には定食があるのでリーズナブルな金額です。
私は担々麺セット、姫様と妻はエビチャーハンセット、太郎君は五目チャーハンセットを頼みました。


担々麺・・・・・の大盛(100円UP)です。
みんな、一口ずつ食べましたが、単に辛いだけではなく、複雑に味が絡み合って、最後に辛さが通り抜けるというおいしさでした。


妻と姫様の海老炒飯。
一口もくれませんでした。


左が海老炒飯で、右は太郎君の五目チャーハン。
ぱっと見は、海老炒飯との違いが判りませんが、海老が1個しかなく、よく見たら中の具材が違います。


定食なので、小籠包が4個付きます。
お店の人のおすすめは、黒酢だそうです。
私は何もてなくてもおいしいと感じました。
ただ、ここの小籠包は味が濃いので付け合わせの生姜のポイントが高い。


小籠包は店により、人により味が変わるので・・・・・・食べるのが本当に楽しいです。
ちなみに、ららぽーとの1Fで台湾祭をやっていたので、冷凍小籠包を4袋(80個入り)を買って帰りました。


買ってから気が付いたのですが、台湾祭 STOREでの購入レシートがあれば京鼎樓で割引が受けられ、京鼎樓のレシートがあれば台湾祭 STOREで割引が受けられる・・・・。


我が家に蒸し器というものはなので、フライパンにクッキングシートを敷いて蒸しました。
凍ったまま並べて、蓋をして8分ほど蒸して出来上がり。
1つも壊れたりしていなく、蒸している間にスープがこぼれるということはありませんでした。
お昼に京鼎樓の小籠包を食べたのに、夕食は冷凍小籠包。
小籠包をはじめとする点心だったら3食でもいけるかも?

ポケモンセンター in金沢

 葬儀の次の日、家族全員で金沢駅前のフォーラス5Fにあるポケモンセンターに行きました。
10時開店で9時50分に並び、開店と同時に5回までエスカレーターで登りました。



入ってすぐのところでポケモンがお出迎え。
父親失格かもしれませんが、名前がわからない。
ピカチューだけは知っていますがね~♪


開店10分後には入場制限がかかり、整理券を配布する事態になっていました。
ここでよくわからなかったのは、店内に家族がいれば整理券なしで入ることができること。
太郎君は1時間ほど物色していましたが、自分の小遣いの残りが1000円しかなかったようなので・・・・・・・私にすり寄ってきていました。
結局、8000円分ほどのグッズを手に取りホクホク顔で会計の列に並びました、


会計の列が進むと・・・・・・

壁にタペストリーが貼ってあったり・・・・・・
実は、これを撮影するために前の人との間をあけたら・・・・・・割り込まれました。
右手は太郎君で、左手の人物は割込み犯。
丁寧に教えてあげたら「知らなかったもん」だけを言って・・・・・・というか、店員さんが最後尾の看板をもって大きな声で案内してますやん。
そして、母親だったら「すいません」ひとことぐらい言いましょうや。


気を取り直して、次に見えてきたのは・・・・・・

九谷焼ver.のピカチュウ。
ピカチュウって聡とばっかりいたから勝手に男の子と思っていました。


戦利品を手にあふれるくらい持っているので、自分のスマホでは撮影できない太郎君。
画像を後で送ってくれと言われて今いたが、現時点で・・・・・送っていません(笑



 太郎君がポケモンセンターを堪能しきって退転したのが11時30分ごろ。
お昼ご飯に、金沢百番街にあるそじ坊金沢百番街あんと店に向かいます。
金沢では魚介類だって?高級すぎて金沢では食べません。
金額が高くなり・・・・・量が少なくなり・・・・・輪島や氷見に行って食べるほうがね~。


 そじ坊は大阪にもありますが、なぜか金沢でしか行きません。
自宅の近くでは堺東にあります。
このそじ坊、私の一押しは生わさび1本付きのざるそば。
量を食べたかったら、ざるの枚数を増やすことができます。
1枚150円くらいだったはず。


細いそばはのど越しがよくて・・・・・生わさび・・・・・自分でおろし金でおろした生わさびとの相性は抜群です。
ちなみに写真はありません。


暇様のカツ丼と選べるそば定食(冷やしそば・あげ餅入り)の写真しかありません。
金沢駅を利用したときにしか食べないので、5年ぶりくらいだったからか、配膳されたら直ぐに食べ始めてしまいました。


 おなかが膨れて、金沢駅付近を散策し、最後にフォーラス1Fにあるレモネード屋さんへ。



姫様が大のレモン好きなので、飲んでみたいと・・・・・。


姫様はオリジナルレモネードをチョイス。


私が注文したのは何だっけ?
レモンショット??
覚えていませんが、レモンを絞っていました。
これはその場で飲まなくてはいけないもので、私は2口、残りは姫様が飲んでいました。


妻と太郎君はレモンスカッシュ。
初めてだったので、みんな、一番上のメニューにしたようです。


どの飲み物も、レモンをものすごく感じる飲み物になっていましたが、私と姫様だけは、シロップの量が半分くらいだったらよかったのにと思ってしまいました。
でも、美味しかった。



 16時ごろに義実家に帰宅。
17時から義父と晩酌・・・・・義父は私が行かないとのまないみたいで、今回初めてアサヒ・スーパードライのジョッキ缶を飲んで感動していました。

急遽、金沢へ

 先週の水曜日(9日)の夕方、姫様から電話がありました。


「お父さん、伯父さんが亡くなったらしい」


姫様からして伯父さんとは・・・・・・東京の?妻の兄の?また、親世代よりも早くに??
姫様の電話では状況が分からなかったので、義父に代わってもらったら


「義母の弟が自宅で亡くなっているのが発見されたらしい」


とのこと。


妻の叔父にあたる人です。


この時点で、姫様へのお仕置きが決定しました。


伯父は、妻の祖母と一緒に住んでいて、祖母が脳梗塞で入院するまでは面倒を見てくれていました。



 木曜日、妻は午前中はシフト上で抜ける事が出来ないので、13時まで仕事をしてから金沢へ。


金沢駅で一番有名なのは鼓門なのですが、SNSに出すには人が多すぎる。
これは横手にあります。


通夜は木曜日(10日)、葬儀は金曜日(11日)でした。


会場は金沢駅西口側にある「サンレー 紫雲閣」という所。
義実家からは遠いのですが、20年ほど前に妻の祖父の葬儀の時に使ったからという理由らしい。


行った時の案内板には3組の名前が書かれていました。


本当の家族葬で執り行ったので、来ていた人は義両親、義母の妹夫婦と息子・息子夫婦、と私達。


義兄?お盆休みはトルコに行っているらしい。
間が良いのか悪いのか。
初めは、トルコに行った義兄が何かの事故に巻き込まれて・・・・・・と思ったのは心の中に仕舞っておこう。



 叔父は自宅のベッドで眠る様に・・・・・眠っている間に亡くなったらしい。
近所の人が、仕事で使っている車がずっと置きっぱなしになっていることを不審に思った事が切っ掛けで発見されました。
死後数日たっていて、少し腐敗・・・・・溶けていたらしい。
クーラーを入れていたのですが、腐敗は避けられない模様。
棺桶の中も、通常は顔を出すのですが・・・・・・顔まで布に覆われていました。


叔父の宗派は・・・・・真言宗大谷派・・・・通称:お東さんです。
近辺一帯の人は大概は同じ宗派だという事で、義父母もお東さんだという事だ・・・・・初めて知った。
私と妻が結婚してから、親戚がなくなるのは初めてです。


つつがなく進行して、通夜と葬儀は終わりました。


焼き場は、鳴和方面にあるらしい。
駅からは15分ほどでつきます。
葬儀が12時30分から、焼き場入りが13時40分。
焼き上がりが15時くらい。


焼き上がり待ちの部屋。
叔母の息子夫婦は3カ月の赤ちゃんがいるので、奥様と赤ちゃんは葬儀まで。
手前左のソファーセットにいるのが妻・姫様・太郎君です。


奥の窓から見る庭園はこんな感じになっています。
煙草を吸いに出たときに撮りました。


煙草を吸うために喫茶部の所を通ったら、骨壺一覧が。
本当にいっぱいあるんだな~という思いです。


焼きあがって骨を拾ったら、再び葬儀会場に戻り・・・・初七日でした。
17時過ぎにすべてが終わり、お弁当をもらって私たち家族だけでタクシーで義実家へ。
義両親は、これからの事を叔母夫婦と話し合うとのことで別行動です。


お弁当は3段になっていて、美味しかった~。


帰りに金沢駅内のセブンイレブンでワインとビールとおつまみも買いました。
金沢限定のおつまみだったのですが、私の好みはバイ貝の燻製です。
大阪に帰るときに6袋買い溜めしておきました。



 軽く書きましたが、身内だけの葬儀はほんとに軽い物でした。
いや、私の葬儀の時もこんなんでいいと思う。

祖父母の戦争体験

 私の祖父母は、現在の南さつま市加世田という所で生まれ育ちました。
生まれた年は大正3年・・・・・1914年生まれ。


一人目の子は長男で、昭和10年頃に生まれ、20年に死亡。
二人目の子は長女で、昭和13年頃に生まれ、18年に死亡。
共に病死でした。


次男は昭和19年に生まれ、次女(母親)は昭和21年に生まれています。
次男・次女以降は全員成人して結婚しています。
男一人、女三人です。



年金の記録で確認しましたが、終戦までの10数年間、祖父は兵庫県神戸市にある軍需工場に勤めていました。
何故務めていたのかは不明。


やっていた仕事は設計だったらしい。
ゼロ戦全体の設計ではなく、機銃の発射スピードとプロペラの回転数との兼ね合いだという事。
これは、妻と結婚する前に痴ほう症になった祖父を訪ねたときに、祖父が妻に対して口説いていた時の話の内容を聞いていて判明したことです。
祖父は標準語を話すことができたはずですが、ボケたからか、生粋の鹿児島弁で話していたので妻は何を言っているのかが分からなかったらしい。
愛想よく相槌を打っていたら機嫌よく話していました。



そのころ、祖母は一人で﨑山家を守っていたらしい。
祖父は本家の長男で・・・・・・・って、当時の閉鎖された村というのはドロドロしたものが渦巻いていた・・・・・・。
という話はおいておいて、農家の家業を切り盛りしていたらしい。


太平洋戦争末期、そんな祖父母の家の近くの吹上浜に陸軍の万世飛行場が建設された。
現在、飛行場は吹上浜海浜公園となっています。
海浜公園を東に行くと県道20号があり、そのT字路に旧万世陸軍航空基地営門後があります。
その間に、平成5年(1993年)に開館した万世特攻平和祈念館があります。


私が小学生の頃、大阪から鹿児島市まではサンフラワー、鹿児島市~加世田市(当時)までバスで行き、加世田市~万世までもバス。
降りる所は慰霊塔下というバス停でした。
目の前に、万世ストアーという超ローカルなスーパーがあります。


祖母の話に戻り、祖母は﨑山家の本家であったために、特攻隊員や基地の軍人たちを家でもてなしていたそうです。
小学生の頃、トイレに行きたくて起きたら、居間の方からは笑い声、居間から外に繋がっている廊下からは数人の足音が聞こえてきたのですが、寝ぼけていた私はそのまま玄関前にあるトイレの前の障子をあけて出てしまい・・・・・・。
翌日の朝食時にその話をしたら、祖母が終戦まで、この家で特攻隊の人たちの歓待をしていたとの話をしてくれました。


納屋の上が蔵のようになっていたのですが、そこには軍人さんたちが置いて行ったものが十数点保管されていました。
中には手紙が入っていたのですが、小学生の私にはどうすることもできず・・・・・・大学生になったときに友達と遊びに行ったときに、祖父母の了解の元、大学に持ち帰り、解読してもらってから、遺族に渡すことができました。


私の小学生時代は昭和の末期。
吹上浜海浜公園の近くに「ゆうらく」という温泉施設ができ、近隣住民は無料券が配られて入りに行っていました。
そこに来ていた老人たちが・・・・・南方帰りの人が居たり、満州帰りの人が居たり。
私たち兄弟が大阪から来ていると知ったら、楽しそうに標準語と鹿児島弁が混じった言葉で戦時中の話を・・・・・・露天風呂で入れ代わり立ち代わり・・・・・・。
何処の家の者かが分かると、家まで押しかけ・・・・・・って、あそこの集落で、祖父母や母親の名前を出すとね~。
田舎あるあるですね。


軽く書きましたが、現代からは考えられない田舎の風習や、戦時中の話・・・・・・親父も戦前生まれで、疎開を経験したらしいけれど、話したがらない理由が分かります。
マクロの話ですが、戦争に参加した人の中では勝者はいない・・・・・・・。

姫様にオープンキャンパスを勧める

石川県金沢市の義実家の周辺の地図です。


二重丸は金沢大学の鶴間・宝町キャンパスで、金沢大病院を中心に医薬保健学域医学類と融合学域観光デザイン学類のキャンパス。


一重丸は角間キャンパスで上記以外の学類となり金沢大学のメインキャンパスになっています。


鶴間・宝町キャンパスは、義実家からは徒歩圏内・・・・・・右上の兼六中学校が妻の母校で、通学は徒歩だったらしい。
ということは、少し遠いだけなので徒歩で行くことができる!



この話題を出したのは、姫様が高校生になり大学受験が視野に入ったので、手っ取り早く大学の雰囲気を感じてほしいためです。
私の母校に連れて行っても良いのですが、面倒なので義実家に行った際に金沢大学に行けと言っています。


角間キャンパスは山の上なのですが、山側環状から左折・・・・・・する前にイオンがあり、そこは義両親がいつも買い出しに行くところだから、送って行ってもらえる可能性が高い。
両方共のキャンパスを見学したら、憧れが出て勉強に身が入る?


金沢大学の夏のオープンキャンパスはオンラインで開催との事。
大阪に居たらオンラインでも良いのですが、せっかく近くにいるのだから直接行ってみたらいい。
夏休み期間でも理系の学部は学生が出ているはず・・・・・・出ているよね?


よくよく考えてみたら、角間キャンパスの前は今の金沢城址内にあり、そのまま存続していたら通学はものすごく便利!
でも、妻も義兄も進学していない・・・・・解せない。


私の母校は、メインはあるが学部によっては大阪府外にまでキャンパスがあるので・・・・・・メインに連れて行ったらいいのですがね。
夏休みが終わってから連れて行ってみますか。
自転車で20分もかからないからね~。
そういえば、私って通学時間が20分を超えたことがありませんでした。