kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

姫様の誕生①

 最近、リモートワークと緊急事態宣言のために外出することがほとんどなくなったので書くことがない。
備忘録として、家族の事を書き記していこうと思い、第1弾として、姫様の誕生の事を書いておきます。



 姫様は2007年7月9日17時30分頃に金沢市の聖霊病院で産声を上げました。

この年の年賀状?だったような気がします。
生まれるまでの出来事を書いておきます。



 私と妻が結婚式をしたのが2006年3月11日で、入籍が4月11日。
実は、入籍するのを忘れていました(笑
ある日、届が出てきたので慌てて持って行った覚えが。


私も妻も、子供が欲しくて、私は「男の子」妻は「女の子」が欲しいと思っていました。
しかも、誕生月までこだわろうと話し合っていて、「9月ごろが良いかな」「いや、10月か」「6・7月は私たちの誕生月だから避けたい」などと話していました。
結局、お腹が大きい時に寒いのは嫌だから「9月生まれ」が良いという結論になりました。


となるのが、いつ仕込むのが良いのか。
9月生まれだと11月ごろ(本当は2月ごろだった)に仕込むと希望月になる。
生々しい話ですが、そんなことを下調べ(10月10日前に・・・・と信じて)して、妻はそれ用の体温計を購入して自分たちなりの妊娠準備に取り掛かります。


そこで困ったのは、妻とは10年ほど付き合ってから結婚したのですが、初めての行為から物理的避妊をしてきませんでした。
一般的なカップルくらいはしてきたつもりでしたが、その間一回も月モノが遅れることがありませんでした。
私がひそかに気になったのが、自分の男性不妊。


妻とはそんな話はせずに、前もっての予行演習をしようという話をして10月ごろから行為的避妊もしなくなった。
結果的には、これが悪かったようで、翌月には「月モノがきません」と言われ、12月初旬に産婦人科へ行くと、「2か月目です」とのこと。


しかも、その時になって初めて「予定日が7月11日」とのことを知りました。
後でネットで調べてわかったのですが、「トツキトウカ」というのは・・・・・・実日数ではないらしい。
知らんわ!とも言えないし、妻には「ごめんなさい」でした。


 両家の親には、「3ヶ月に入ってから」の報告で一致しました。
なにせ、報告してから「いなくなりました」というのが嫌だったので、安定期に入るまでは報告はなし。
病院は、妻の職場から近い大阪労災病院。
実は、私が産声を上げたところでもあります。


無事に3ヶ月目に突入したので、初めて両家に報告。
喜んでくれました。


妻の体調変化、蛋白尿が出始めて「妊娠中毒症」の軽度と診断されました。
さらに、なぜか初めての診察の時に、子宮形成不全と・・・・妊娠しにくいらしい。
つわりの期間は、「においに敏感」になりました。


私の変化。
妻から「整髪料のにおいが嫌い」→つけられない。
「育毛剤のにおい嫌い」→つけられない
「アイス食べたい」→23時でも喜んで!
「足がむくんだ」→喜んで!マッサージ
「炊飯の時のにおいが嫌」→喜んで?夜中に炊いて冷凍庫で保存
「顔がむかつく」→よろこ・・・・生まれつきじゃ!(笑


最後は1例ですが、理不尽この上ないが、冗談だと(本当に冗談か?)わかっていたのでスルー。
偏食等はなかったけれど、我儘をいっぱい言っていたような気がする。
甘いものなどは、「お腹の子が食べたいと言ってる」と言われると行くしかない。


妻も、妊娠中毒症の蛋白尿(軽度)がひどくならないように運動するのを心掛けていたようです。
土日には一緒に散歩したりしていました。


検診では、蛋白尿の数値で一喜一憂し大概は平々凡々としたもので、男女のどちらかは生まれてからのお楽しみという事で聞きませんでした。
検診も、夫婦で半休を取り病院に行って、妻を職場に送って行ってから私は仕事。


妻の職場は女性しかいなく、福利厚生がしっかりしていて、出産には理解のある職場です。
産休も額面通りにとりことが出来ます。


 翌年のGWには産休と有休をとり、金沢へ里帰り出産のために移動しました。
労災病院の医師から、妊娠中毒があるので母子ともに何かあったときに対応できる病院にしてほしいという事だったので、義父母に探してもらい「金沢聖霊総合病院」にしました。


GWから私は念願の一人暮らし。
この時まで、一人暮らしをしたことがありませんでした(笑
もちろん、掃除・洗濯・料理ができるわけがありません。
実家に丸投げです(笑
そして、自宅は改装!リフォームしました。
もちろん、自分の手で。
リフォーム会社に見積もりを出したら、200万ほどとなったので、誰もいないし、自分でやっちゃえと。
妻も6カ月は帰ってこないし~。


仕事が終わって自転車で実家に行き、実家でご飯とお風呂、洗濯物を回収して・・・・・BARで引っ掛けてから帰宅(23時)。
金沢に行くのは2週間に1回。
妻とは毎日電話とメール。


妻は、蛋白尿がまだ出ているので運動・・・・・・朝は義父と共に兼六園と金沢城址散策、午後からは卯辰山登頂。
妊婦さんが卯辰山に登るってシュールだな~。
私と妻はその時は物凄く真剣で、卯辰山に登るきっかけも、蛋白尿の数値が上昇したから。
登ると低くなり、さぼると高くなる。


この時に初めて、金沢の毎月の行事(100万石祭り等)を見ました。
この時は材木町の家に住んでいたから、浅野川での行事も気軽に行けました。


義父母はそれぞれ働いていましたが、義母が定年前(2年前)だったにもかかわらず、退職して妻の事を見守ってくれたことを今でも感謝しています。



 出産とは女性は大変なものです。
自分の命を懸けて命を造り育むことだと思います。
妻から母親へなり、夫の相手をしないとよく聞きますが、「トツキトウカ」も命がけで戦うのですから当たり前なのかもしれません。
逆に夫は・・・・・・何もしないから・・・・・はい、自分の好きな事をしていました。
家の改装(すべて手作業)をし、毎晩飲み歩き・・・・・こんなことをしていたから義両親に「浮気してるの?」と疑われたのかも(妻談)。
天地神明に誓いますが、毎日一人暮らしを満喫していました!
付き合い(接待)でお姉さんのいるお店には行きましたが、不細工でおデブな私が・・・・浮気なんて・・・・・妻が怖くてできません!

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