kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

骨が折れてたよ太郎君

 年末から更新していませんでしたが、年始からの弁当作りはやっておりました。


先週と先々週の2回分。
何を作ったのかの詳細は忘れましたが、ちゃんと作っています。


今週は、ホワイトシチューに鶏もも塩焼きとオムレツを乗せたサラダにおにぎり二個です。
作った後に思いましたが、女性が食べるにしたら量が多い?
まぁ、おにぎりを残したらいいから大丈夫かな。




 先週の土曜日、太郎君が私の実家に向かっているときに、自転車で転倒したらしい。
左手の指の付け根が少し腫れていて、日曜日には内出血の後になり、どす黒くなっていました。


本人の申告では痛みはあるがそれ以外はないとの事と、土曜日の夕方だったので夜間診療には行かず。
翌日の法事には、湿布を張っただけでした。


月曜日の小学校が終わってから、近くの整形外科に行ったら・・・・・見事に折れていたらしい。
シーネ固定をして帰宅してきました。


本人曰く、シップを貰いに行ったら骨折と言われて・・・・・・シップを貰うのを忘れたらしい(笑
シーネ固定なので、無理をしなかったら外してお風呂に入る事が出来ています。
いやはや・・・・・・。

年末からあった事

 ブログの存在を覚えていましたが、年末・年始は衝撃的なことが多くてブログの更新まで手が回りませんでした。


 私の父方は、8人兄弟で親父がその末っ子。
昭和11年(1936年)生まれで、上には2男5女(女・女・男・女・男・女・女)います。
祖父が生きている間は、実家に盆正月のたびに集まっていましたが、祖父が鬼籍に入った後は、男兄弟と実家に住んでいた2女の伯母が集まっていました。


 2女の伯母は、大正13年7月7日生まれ。
昭和19年に結婚し、旦那は3か月後に出征し戦死。
子だからには恵まれず、その後、再婚はしませんでした。
 親父の母、私から見て祖母は、親父が14歳の頃に病没しており、それ以降は二女伯母が母親代わりだった・・・・・らしい。
大学の卒業時と、結婚時に養子縁組の話が出るほど・・・・・で、父親はそれを頑なに断っていたと、伯母と母親からは聞かされていました。


 私や亡兄からすると、父方の祖母代わりをしてくれた人です。
家庭内の行事・・・・・子供の誕生日・クリスマス・運動会、家族旅行などには必ずと言っていいほど来てくれたり同行していたりしました。
 
 住んでいたのは、大阪市浪速区玉出中付近。
元々の実家がここで、商店が浪速区元町1丁目にあり、祖父からの相続の際には、長男が商店地、次男が実家・・・・という取り決めになりましたが、次男の実家だけは付随事項があり、二女が望む限り2階に住む事が出来るようにする事。
今から10年くらい前までは、実家の2階に住んでいました。
 
 職業は、和裁の先生。
若いころから和裁教室を開き、花嫁修業をする人や和裁で生計を立てようとする人達を生徒に取っていたようです。
住み込みの人もいたようですが、私が物心ついた時からは住み込みの人は見ておらず、通いの生徒さんが数人いました。


 10年前より、堺市の有料老人ホーム・スーパーコート堺神石に転居。
2年程前に大腸がんを患ったが、年齢を考慮した結果、手術はせずにそのままと言う事に。
12月23日、永眠。


 私は、亡兄の7回忌の報告があったので11月末に顔を出し、年末に家族そろって顔を出す約束をしていました。
12月に入ってから食欲が細くなり、中旬からは水だけしか口にしなかったようです。


 私や亡兄が伯母を呼ぶときは「玉出のおばちゃん・玉出の伯母」。
洋裁学校(教室)の先生の時は「尾羽根 徳子」で通していたそうです。
本名は「尾羽根 美知子」です。
成人してからも、「玉出のおばちゃん・玉出の伯母」と言っていたので、本名を思い出すのに時間がかかった(笑
老人ホームでの面会カードに名前を書くとき、戸惑った覚えがあります。



 25日に通夜、26日に葬儀を行いました。


喪主は長女伯母の長男(一応私の従兄)がなり、通夜や葬儀の段取りは玉出の伯母が老人ホームに入所後、世話をしていた5女夫婦が取り仕切っていました。


 母親と話して、通夜後の付き添いを希望させてもらい、母親と私たち家族3人が葬儀までの付き添いと線香・蝋燭番をすることになりました。
妻?薬局の運営上、いきなり人がいなくなる事が出来ないので、通夜のみの参列で葬儀は欠席・・・・・・通夜振る舞いが終わってから自宅(会場から車で30分)まで送りました。
 葬儀が終わってから母親がぶっ倒れ・・・・・回復に2週間ほどかかりました(笑



 1月28日、変則的ではありますが、満中陰法要を行いました。


会場は通夜・葬儀と同じ場所。
話はそれますが、太郎君の服装は、卒業式用のスーツを購入していたので・・・・・私の予備ネクタイを貸し出して着せてみました。
馬子にも衣裳?
一応、170cm用のスーツと、別に購入したベストを着用しています。


夫婦位牌を作り、子供がいないので家が断絶する事を考慮して、本人の希望で永代供養用の位牌も作成。
 つつがなく進行し、昼食後に遺言状の朗読(公正証書遺言。長女の長男・・・弁護士)。
遺言は、公正証書にすると家庭裁判所の検認作業が要らないのでお勧めです。
玉出の伯母は、弁護士(長女の長男)の立ち合いで作成後、法務局の公証人に老人ホームまで出向いてもらっています。
簡単には、相続財産に関しは、遺言執行人の費用、生前の経費等、死後にかかる経費等を差し引き、残りは伯母の兄弟姉妹の7人(家)で定額を分け、さらに残ったものは世話をしてくれた伯母が半分、伯母の配偶者が半分となっていました。
誰も反論する人はおらずに承認。
ちなみに、本来であれば私の家は父親が相続人たる資格を持っていましたが、死亡しているのでその子が代襲相続します・・・・・が、遺言では氏名が指定されていて、母親が相続人になりました(笑
これに不服はありません。
 そして形見分け。
後で母親に聞いたところ、貴金属でも高価な部類は既に配布済みとのことで、母親も受け取っており、さらには、妻の分としても預かっているらしい。
ちなみに、電話では遺言書の事、形見分けの事を報告しました。


 小さなことかもしれませんが、社会人になってから、伯母の毎年の誕生日には会いに行ってプレゼントを渡していました。
その中でも思い出の物は、伯母が200mlほどの缶ビールを飲むと聞いて、鹿児島に行った際に薩摩切子のビールグラスを送ったことがあります。
老人ホームに行った際には見かけなかったので、どうしたんだろ?
欲?を言えば、形見分けではそれを入手したかった・・・・・・・。
詳細は不明です。



 昨年は親戚系の葬儀が頻繁にありました。
母方も姻族もそして父方も・・・・・・。
自分に近い人がいなくなることに恐怖を覚えるのは久しぶりの感覚です。

秋って12月まで続いたっけ?

 題名と本文は関係ありません。
単に、最近の大阪の気温の高さに疑問を持っただけです。
北日本では雪が降っているところもあり、日本全体に言える事ではありません。



 本日もお弁当を作りました。
水曜日はお弁当回と言う事を定番化しています。


本日のメニューは、鶏ささ身カツ・チンジャオロース・卵焼き・サラダ(下にレタスとキャベツの千切り)になります。


それに、おにぎり2種類を1個ずつ。
おにぎりは私が手で握ったものです。


こういうシリーズが一番作りやすいと思ってしまいます。
サラダで嵩増しをして、上に数種類のおかずを置く。
実際は、お弁当箱よりも量は多いはずです。



 土日に、私の宝箱を見ていてら面白いものを発見しました。


1980年くらいに発売された、CASIO社製の太陽光で動くゲームです。
入手した時の記憶はあまりありませんが、父親が東京出張の際に買って帰ってきた・・・・はず。


右側のCG-10の方が兄用で、スペースシャトルを操縦して、地球を出発→月を周回→地球に帰還するというゲームです。
左側のゲームは、銀行員がブロック5個を持ち運んで、敵(泥棒)をかわしながら、爆弾(泥棒が投げる)をかわしながら、車まで運び込むというゲームです。


左側は、写メをとるまでは動いていたのですが・・・・・。
なぜか、この時は動いていませんでした。


いや~、本当に懐かしくて・・・・・・、これを貰った時は真剣になってやったものです。
兄弟で交換して遊んだり。


何故、私が持っているかというと・・・・・亡兄の結婚前の所有物は大概実家に置いてあり、特に、身近で使っていたものに関しては、私が直接保管しておくように言われたからです。
亡兄の計画の共犯関係だったからなんですがね~。
亡兄は、結婚した時には最低限の物しか持って行っていません。
だから、こういった過去物も私が保管と管理をしています。
亡兄の黒歴史のTRPG関連も(笑

書いたと思ったのに~!

書いていなかった事ってよくあります。
本当にあります。


今回も、妻を怒らせて・・・・・ご機嫌取りのためにお弁当を作った事を書いたつもりでいました。


私と妻は、よくケンカします。
付き合っているときから、些細なことから直ぐに喧嘩になります。


そんな私たちは、喧嘩ルールを作りました。
・翌日に持ち越さない
・外ではしない
・悪かった方が謝る
・子供の前ではしない(出産後追加)


良く、カップルで喧嘩もしないと言っている人がいますが、マジ?


しかし、暴力だけは別。
妻はちまちましてきますが、私はそれが一定度を越えないと手は出しません。
全く手を出さないとは言いません。
ひたすら、デコを爪で突かれたときに、一発だけ平手で頭を上から下に・・・・・・(笑


基本的に男女では体のつくりが全然違いますし、私と妻ではウェイトが違うので・・・・・真面目に暴力を振るったら・・・・・・シャレにならないはず。


中学3年生の反抗期と受験の際に、親がうっとおしくなって・・・・・・・フルスイングで冷蔵庫の横を殴ったら・・・・・クレーターが出来て、内部が少し変形したのを見て、絶対人に対して振るってはいけないと心に誓った・・・・・15歳。
まぁ、高校生活では破ったこともあったんですけれどね~(笑




 そんなことはどうでもよく、妻に作ったお弁当の話です。
誤ったのに許してくれなかったので、スイーツとお弁当で機嫌を取りました。
少しお高めの豚肉(100g500円超)を購入して、生姜焼きを作りました。


そして、サツマイモご飯と卵焼きとブロッコリー。
サツマイモは10kgほど頂いたので、消費するために作りました。
塩と酒しか入っていない、素材の味を存分に出す・・・・・・失敗しましたけれどね~。



 姫様が今週の月曜日まで試験期間(学年閉鎖のため)だったので、本当に妻のためだけに作りました。
今週は作らなくても良いと思っていたのにな~。


ちなみに、本日の晩、妻が遅くなると言う事で晩御飯係を拝命しました。
何を作れと?

次は学年閉鎖

 今、姫様の高校では期末試験が始まりました。
月曜日、期末試験が終わったら・・・・・学年閉鎖が発表されたらしい。
水曜日までで、木曜日から通常に戻るらしい。
試験期間を公平にするための処置とのこと。
インフルが流行っているとのことですが、試験期間中に感染爆発する?



今週は、テスト期間のためにお弁当は無し。
料理していないかと言われたら、姫様と太郎君が「豚角煮」が食べたいと言っていたので、作ってみました。


タッパに移した後の写真ですが、豚のシート状の塊を買ってきて、7cm幅に切ってから下茹(酒・葱の青い部分・生姜)でをして、さらに5cm幅に切ってから、活力鍋を使いました。
最後に調味料を入れて、味を染み込ませておしまい。
肉をタッパに並べて、スープを煮詰める固定の中にゆで卵を投入して、こちらにも味をしみさせ・・・・・・・・スープが半分ほどになると完成。


味付けは、はっきり言って適当なんですが、基本的にはレシピの量よりも醤油は半分~2/3ほど、砂糖とみりんは感覚的に適度に増減させています。


 さらに、豚肉を買ったときに目にとまったのがカンパチのあら。


これはその中に入っていたカマの部分ですが、私はどの魚でも窯の部分が好物です。
398円で1匹分のアラが入っていたので、カマの部分も1組・・・・・・2本。
魚焼きグリルでしっかりと焼いてから、美味しく頂きました。




最後に、姫様の手の中で落ち着いている次男君。
長南君はあまり手の中に来ることはありませんが、次男君は、お腹いっぱいになると誰の手の中にでも飛び込んできます。
姫様は自分の手の中でこうなっている次男君を見て。「可愛い・可愛い・癒されるわ~」と呟いていました。
ちなみに、夕食時の一コマなので、次男君に左手を占拠された姫様は、夕飯を食べ終えるのがものすごく遅くなりました。