kawamiのブログ

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褒めるか認めるか

 先日の朝、テレビを見ていた時に「褒められたい」という若者が多いという調査結果が出た。
褒められることにより仕事へのモチベーションが上がるという事だそうな。


このことを聞いていて、疑問に感じたことは「褒められるために仕事をしているの?」ということ。


私が新入社員の頃は常に叱責されていた。
一挙一動において全てにおいてダメ出しを出されていた。
このダメ出しを出されない事が一人前になることだと勝手に解釈していたものだ。
結局、常に周りの環境や仕事内容が変わるので叱責がなくなることはなかった。


逆に、褒められることがあったかというと・・・・・・記憶にないな。
仕事で大きなプロジェクトが成功したらボーナスや昇進があり、それが会社に認められてのご褒美(褒められる)という解釈でした。
小さなことで褒められる・・・・・当たり前のことをして褒めてくれる人はいなかった。


家の中でも幼少期に褒められる時と言ったら、中学・高校・大学受験に合格したとき、テストの結果が良かった時くらい。
日々の勉強で難問が解けたからと言って褒められることはなかった。



 子供たちを育てるうえで、「褒めて伸ばす」という教育方針がある。
これを社会に出てまで適応させるのだろうか?
私にしたら疑問が残る。


情報が氾濫している昨今、ネットを介せば色々な情報を得ることが出来る。
得ることが出来るが、活用することが出来るのかは個人の資質によるところの方が大きい。
これは経験というもので、経験はネット上の情報では得ることが出来ない。
社会人においては、自分への叱責・指導と周りへの叱責・指導を常に自分の頭の中に入れなくてはならない。
それにより、叱責・指導をされる回数を減らし、より深い部分の情報を上司等から選らなくてはならないから。


 という私も、部下を持つ身になってからあまり褒めたことがない。
全ての部下に対して同じ行動をしている(つもりだ)が、その中でも賛否が分かれているようだ。
私は全ての部下に対して人望があることを望んでいない。
私の父が言っていたが、大人は社会に出ると「10人中7人は敵で3人は味方」だと言われた。
なので、7割の部下に「否」と思われるのも仕方がないのかもしれない。
しかし、それで業務が滞るという事は次元が別の話だ。
仕事をさせたいから褒めるのではなく、プロジェクトが終わったときに過程の見直しをした問いに「良かったところ」は(口頭で)認めるようにしている。


 今の若者は「褒められる=認められる」なのだろうか?
それとも、「褒められる=自己満足」なのだろうか?
両方とも間違えていると考えてしまうのは年を取った人間だからなのだろうか。


社会に出ると仕事の対価として金銭を受領する。
これが、会社に評価されている(褒められている)ことの裏返しなのではないだろうか。
直接言葉にしないといけないのであれば・・・・・・面倒なことこの上ない。
個人的な意見だ。



 昭和末期からの世の移り変わりは清流を目指しているのだろう。
だが、「水清ければ魚は棲まず」という言葉がある。
最後には人間が人間を淘汰するようになるのかもしれない。

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