原発巣不明ガン
癌という病気は、初めてできたところ(原発巣)と移動してできたところ(転移巣)とに別れます。
転移巣の癌は原発巣の特色・特性が受け継がれるので、原発巣の発見が大切となっています。
ところが、がん患者の5~10%くらいは、何らかの理由で原発巣が見つからないことがあります。
理由は、小さすぎて発見できていない・消滅した・・・・・などがあるようです。
本日のYAHOOニュースで、近畿大学医学部のデーターで、原発巣不明ガンに対して、商品名・オブジーボが有効であると出ていました。
全体の約2割の患者に対して、延命の効果が得られたと・・・・・・・。
私見ですが、原発不明ガンでガン宣告された人は、すでに転移している状態です。
通常の癌患者よりも状態は進んでいることになります。
発見時に(腫瘍の大きさ的に)ステージ2と言われても、すぐにステージ4と言い直されることが大半です。
平均余命も12か月くらいと短く・・・・・。
オブジーボ自体での延命がそんなに重要なのか?というのが本音です。
癌への投薬自体は否定することはありません。
が、投薬してその薬が効くとされている可能性は、消費税よりも低い。
なのに、原発巣不明ガンに光明がありますよというような記事は目にしたくない。
私がここまで原発巣不明ガンの記事に苛立ちを覚えているのは、兄が原発巣不明ガンで、兄本人が選択して、「オブジーボ」に可能性をかけて選択的「肺がん」と診断して亡くなったから。
確かに、余命6か月といわれていたのに、オブジーボを投与したからなのか12か月は生存していました。
でも、最後の2か月は、自分の母親に「俺を殺してくれ」というくらいになっていました。
私の中では、常に冷静で理知的な兄がです。
小さなころから、どんな苦しい時も頑張っていた兄がそんなことをいうことに母は衝撃を受けていました。
最後は、脳・首のリンパ節・肺・食道・肝臓に転移して、横になるのも痛いからと嫌がり、首のリンパ節が晴れて頸動脈と気道を圧迫し、脳の腫瘍部の肥大で・・・・。
そんな状態なので、健忘症のような症状も出てきて、正気に戻るのは1日に15分ほど。
そんな中での兄の心が折れた一言は衝撃でした。
福井の大学病院の駐車場から母親が泣きながら電話をかけてきたのも衝撃でしたが。
ちなみに、私の家系は「他人の前で泣くこと」をタブーとして育てられました。
残されたものからしたら、オブジーボを使用したことによりこうなったのではないのだろうかという思いがあります。
兄が選択したことなのだけれど、兄の思いは・・・・・がんのコントロールを目的としていたはずです。
終末期には、京大で遺伝子検査をして・・・・・としましたが、時すでに遅し。
発覚時にしていたら、また別の過程と結末があったのかもしれません。
私の兄の場合は、終末期の3か月・自分のクリニックで診察時に倒れて入院して以降は、生ける屍でした。
頭が働かないかして、意思疎通をしたいのに一緒に住んでいた家族もわかってくれない(実際に兄が言った)。
最後に兄弟げんかしたのは、大学病院に入院していてひょんなことで2人きりになった時。
「お前が元気にしているのになんで俺だけが」
「息子のことだけでいいから、たまに目をかけてやってくれ」
「母のことは頼んだ」
「やっぱりお前がむかつく、好き勝手やっているくせに・・・・順風に人生を楽しみやがって、俺の人生は何だったんだ」
「俺の息子が殴ってすまんな」
15分くらいかかってこれくらいのことが聞き取れて、書いていないことは、家族に対する恨みでした(笑
まぁ、傍目から見ていても近づきたくない片割れですから。
最後に言い終わったとに、いきなり5発ほど殴られました。
そして「俺は最後までお前の兄だ、死ぬまで忘れるな」と言われた。
そうなんですよね~、私たち兄弟は私は兄のストックとなります。
変な意味でのストックではなく、お互いがお互いを補完し合う関係というのでしょうか。
性格も見た目も全然違うので、足したらちょうどいいのではないのかという子供のころの考えで、そのまま今に至ります。
兄が結婚してよくわからないことになっても、年に1度はあって近況を話し合うようにはしていました。
そんな兄の姿を見ているから、オブジーボの効果単独のニュースには違和感を覚えたのです。
生前、兄はよく言っていました。
医学の歴史は、亡くなられた患者さんの上に成り立っている。
医学の道に入ったときから、自分もその中の一人になるのは当たり前で、本当に大切なのは、当たり前と思っている治療にも土台になってくれた方たちがおられて、その上に成り立っていることを忘れてはならない。
そして、さらに研鑽するために考えることを忘れてはならない。