kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

海外からメールを送る

 GWは通常運転だったのですが、職場内ではかなりの人達がGWを満喫していたようで、お土産タワーができていました。
日本全国の津々浦々のお土産が一堂に会しているのを見るとどれを食べていいのか悩みます。


ちなみに、午後から残っていたのは役職持ちだけだったので、みんなその周りで仕事をして気楽にしていました。
他のフロアでも同じような感じのタワーがそびえ立っていました。
消費期限が近いモノから食べないと・・・・・・(笑
旅行には行ってっていませんが、銘菓を食べると行った気持ちになれたりもします。



 GW前に、私のアドレスに英語で書かれたメールが来ていました。
差出人は学生時代に北米を放浪していた時に知り合った方。
英語でのビジネスメールは貰いますが、プライベートでは月に2通来るか来ないか。
来るたびに、亡兄が海外から送ってきたメールの事を思い出します。


 私や亡兄は、大学の長期休みの時に20万円ほどもって海外の地域を放浪する事をしていました。
交通費に半分費やし、残りの半分で一カ月間ほど自由気ままに色々な所を見て回る。
欧州・北米・中国など行きましたが、帰ってくるときは浮浪者の様な・・・・・(笑
今ではいい思い出です。


そんな折に、亡兄が北米に行っていた時、立て続けにメールを送ってきていました。
初めは、英語で送ってきていたのですが、2通目の途中から・・・・・英語ではなく「ローマ字」で送ってくるようになりました。


あの当時のOS・・・・windows は95か98。
ホテルで借りたアメリカ仕様だと日本語には対応していなかった。


私の実家ではネット回線をISDNだったので、当時は快適なネットライフを満喫していました。
ペンティアム133位の時代?


いきなり英語から訳の分からない言語になった・・・・・と当時は真面目に解読しようとしたのですが、5秒ほどでローマ字化していることに気が付いたからよかったのですが・・・・もちろん、返事は日本語でしていました。


帰ってきて理由を聞いたら、日本人相手に英語を使うのが馬鹿らしくなったが、日本語が打てないのでローマ字にした・・・・・と。
初めの方は英文よりも読解する速度が遅かったのですが、3日目で日本語と同じ速度になりました。


まぁ、お茶目な亡兄でしたけれどね。
そういえば、あいつって私と母親以外と話すときは関西(大阪)弁で、それ以外(義姉含む)と話すときは標準語っぽい丁寧語で話していましたね。
家に呼ぶほど仲良くなっていた友達には徐々に関西弁になっていましたが、義姉付近には最後まで・・・・理由は知っているが書けない(笑
理由は、姫様には話しています。
私がいなくなった後に困らないように、書けない事での最低限は姫様に口伝で伝えてあります。


もとから、私は亡兄のバックアップと兄弟間では言い合っていたのですが、本当になるとは思いもよらない。
亡兄は素を家族以外の前では晒さない事を徹底していたからな~。
後はお察し。

×

非ログインユーザーとして返信する