kawamiのブログ

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医療は平等か?

 平等という言葉の意味はどういう意味なのだろう。
この世の中に平等という事は存在するのだろうか。
私があると確信しているのは、「生」と「死」の2つ。


 医療は平等かどうか。
これも、地球上の地域や国ごとにに差が出てくると考える。
では、所属している日本国はどうなのだろう。


 日本における医療とは、基本的には病院に行き、医師の診察を受けること。
医師の診察を受けるには、医師に対しての診療報酬というものがあり、昔から高額になることで知られる。
これは、医師の技量に応じたりしての現在でいう自由診療にあたる。
 医療を万人が受けることが出来るよにするという事が国策になり、昭和36年に国民皆保険体制が整えられる事となった。
それ以前は、大正11年に健康保険法による企業雇用者の職域健康保険が最初で、その後、色々な地域等に波及していった。
国民皆保険制度のおかげで、医師及び医療機関で医療を受けることは日本人であれば誰しも可能になった。


 医療を受けるか受けないかというのは、個人の自由である。
医療でも、どういう医療を受けるか、どこの場所で医療を受けるかも個人の自由。
日本全国には、約17.9万の病院が存在する。
(参照 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/m18/dl/is1812_01.pdf  )
住む地域により、病院数が増減したりするかもしれないが、先に述べたとおり、個人が望めば医療を受ける事は必ずできる。



 医療の質。
医療の質は、医師によって変わってくる。
病気に対する専門性、医療技術に対する知識、医療に対する知識などにより個人差は出てくる。
大学病院だから最上の医療を受けることが出来るのかと言えば、そうとも限らない。
市井の個人病院だから、最新の医療が受けられないと言えばそうでもない。
なぜならば、医師たちの研鑽が患者の受けられる医療の質になるのだから。
それを、実際に診察してもらったり、口コミで聞いたりして自分の病気や性格に合った医師を探し出さなくてはならない。



 子供が受ける医療。
家庭において、特に子育て世帯は世帯年収がそんなにも高くはない。
今から30年ほど前などは、子供に対する医療費を「もったいない」と考える親がかなりいて、子供はあまり病院にかかることは無かった。
それだけが原因ではないが、子供に対する医療の拡充を目的として、都道府県単位及び市町村単位の行政で子供に対する医療費補助がある。
無料か一定の金銭を支払えば、どんな子供であっても医療を受けることが出来る。
ただし、先にも書いたとおり、世帯年収が一定以下の世帯向けであり、一定以上の世帯はこの限りではない。
この施策により、子供の健康というものに関しては向上したと言える。



 最近はインターネットで簡単に色々な情報を得ることが出来る。
それにより、自分がかかった医療と他の人がかかった医療との違いが解ってしまう事がある。
しかし、ここで考えなければならない事は、インターネットに出ている情報はすべて正しいのだろうか、そして、全ての事柄をしっかりと書いてあるのだろうか。
例えば、小説の帯をみてどんな小説かはわかるが、小説の書いてある中身までは解らない。
病気は、症状・診断名が同じであったとしても、内容が同じということは無い。
それを理解していないと、不満が出るばかりである。


 医療が平等かどうか・・・・・結果的には平等である。
平等ではないのは、医師の練度、患者の医師の選択等の結果など。
確かに、高度医療などお金が無かったら選択することが出来ない医療もある。
ただ、それは自分の人生の結果の話であるので医療が平等かどうかとは次元が違う。
さらには、最近は少なくなったが、自由診療にて見てもらう事も資力の問題になってくる。
なので、医療というのは皆にとっては平等なのだ。




 私は腰痛持ちで、たまに鍼灸に通っている。
腰痛もひどい時は起きることもままならなくなった時がある。
いつも通っているのは、香里園にある鍼灸院で、1回の施術で8K程する。
一時、面倒で近所の接骨院に健康保険で通ったが、院を出る時には元通りになっていた。
自分に合うか合わないかという事もあるが、私はかれこれ30年は年に4回ほど香里園に通っている。
その鍼灸師もすでに70歳近くになり、廃業したらどうしようかと悩んでいる。
鍼灸などはまだ安いほうだが、これが病院になると・・・・・最低でも10倍以上はする。
でも、私からしたら、本当に効果があるのであれば、機会があれば利用しようと考える。

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