kawamiのブログ

息子とサイクリング時々娘と投げ釣り

3.11は何を思い出す?

 3月11日は、日本国民にとって忘れられない1日だと思う。
阪神大震災から16年後に起こった巨大な津波を引き起こした地震。


私は阪神大震災の時は受験生で、センター試験の事ばかり。
結局、失敗して兵庫の教育大学に行ったが、通学時間の関係もあり翌年も受験。
大学単位でボランティアに駆り出された思い出と、国道43号線の混み具合と救急車をきれいによける車と救急車の後ろに付くバイク部隊・・・・阪神高速の倒壊現場。



 私と妻が結婚をしたのが2006年3月11日。
結婚したといっても、式を挙げたのがこの日で、入籍はもう1か月後。
私が役所に書類を出すのを忘れていたため。


結婚式は、本当は2月11日にしようと計画したのですが、私が亡き父親の誕生日と勘違いしたために1月遅らすことに。
2月と3月はカレンダーの曜日が同じだったので月だけをスライドさせた。
そのまま、実家と義実家に報告したのだけれど、母親が「お父さんの誕生日は7日だよ」と衝撃な一言を。
ぶっちゃけ、9年ほど付き合って7年強同棲していたからどっちでもいいって言えばどちらでもよかった。
会場は、大阪城が一望できる会場のホテル。


結婚って、人生の墓場だという人もいるけれど、私の場合は結婚していなかったら人生が墓場だっただろう。


妻とは付き合っている時から喧嘩ばっかりしているが、なぜか別れていない。
喧嘩しても、最終的には仲直りできている?
妻と付き合うときの約束が「必ず最初に謝って」だった。
ある程度の言い合いまでは謝っていたが、どうしようもないところまで行くと妻が「甘えてくる」が、絶対謝らない(笑
起こっている理由を分かってくれていると思たらこちらから謝らないとしつこい(いろんな意味で)。
最近思ったのが、夫婦というものは所詮「割れ鍋に綴じ蓋」。


義両親は、本当に良い人たち。
付き合って1年くらいの時に、夜中に忍び込んでいてバレタのに何も言わない人たち。
その時から、結婚のあいさつをする時まで8年間ほど会っていなかったけれど・・・・・・・挨拶の時の一言目が「まだ付き合っていたのか」の一言。
諦め?諫め??思わず「はい」と答えてしまったではないか。
その後は、そのことには一言も触れずにいられると、私の方が不思議に思っているのだが、私の方から穿り返すこともできずに今に至る。
年に3度くらいは義実家に行っているが、知れば知るほど考え方・生き方に対して尊敬ができる。
子育ての時も、短い時間で私たちの足りていない所(心の在り方)を指摘してくれて大変ありがたかった。
足を向けて寝れないと考えたが、大阪から金沢は北北東の方向になるので自然と足を向けてしまう自分がいる(笑


 ちなみに、実家も義実家も、親戚の結婚式のお祝いはそれぞれの実家に持って行くことになっているのだが、義実家は空き巣に入られたらしい。
結婚式が終わって・・・・・昨年、そういえば・・・という感じで教えてくれた。
いや、それを先に言ってくれたら、お祝いは辞退したのに(多分)
その盗難にあった義実家は2007年の姫様が生まれた後に立ち退きにあい、今の住所に新築を建てて引っ越した(2008年)。
姫様が生まれたときは材木の家、その後、横山の家になる。


 
 という事で、私と妻の結婚記念日は5年後には忘れられない日となった。
2011年は、太郎君が生まれた年で、妻はその時も里帰り出産のために義実家にいた頃。
私として、不謹慎かもしれないが、テレビなどで震災の事を伝えてくれるので忘れなくてよい。
さて、いつまで夫婦でいられるかな???????

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